類例なく「国宝級」発見 「盾形銅鏡」出土 奈良の富雄丸山古墳
奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半、直径109メートル)の
未盗掘の埋葬施設から、過去に類例のない盾形の銅鏡(長さ64センチ、幅約31センチ)と
蛇行剣と呼ばれる鉄剣(全長237センチ、幅約6センチ)が出土した。いずれも国産とみられる。
盾形銅鏡は国内で出土した銅鏡で最も大きく、裏面には精緻で複雑な模様が施されていた。
蛇行剣は曲がりくねった刃が特徴で、古墳時代の鉄剣としては東アジア最大、
蛇行剣では国内最古という。25日、発表した市教委と奈良県立橿原考古学研究所は
「古墳時代の金属器の最高傑作」と評しており、国宝級の発見といえる。
盾形銅鏡に蛍光X線を当てて調べたところ、錫(すず)、銅、鉛の成分が検出された。
表の鏡面にはなめらかに磨いた跡があった。裏面には中国の神獣を簡略化した
「?龍(だりゅう)」文や、のこぎりの刃のように三角形を連続させた鋸歯(きょし)文などの
幾何学模様が施され、中央部分にはひもを通すための丸い突起「鈕(ちゅう)」がある。
「盾」と「鏡」を組み合わせた前代未聞の斬新なデザインで、市教委などは「?龍文盾形銅鏡」と名付けた。
一方、蛇行剣はこれまで国内でおよそ85例、韓国で4例の出土例がある。今回見つかった蛇行剣は
金属をたたいて作られ、刃は6カ所で屈曲していた。237センチの全長はこれまで最大だった
宇陀北原古墳(奈良県宇陀市)の84・6センチの約3倍。鉄剣としても中国・遼寧省で出土した
138センチをはるかに上回る破格の大きさだ。出土状況から、柄や鞘(さや)の付いた状態で
副葬されたと考えられ、それらを含めると復元長は約267センチになるという。
橿原考古学研究所の岡林孝作副所長は、記者会見で「盾形銅鏡からは
当時の人々の柔軟な発想と創造性、高度なデザイン力がうかがえる。蛇行剣と合わせて、
古墳時代前期の金属器生産の技術水準が想像以上に高かったことを証明している」と語った。
https://mainichi.jp/articles/20230125/k00/00m/040/126000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2023/01/25/20230125k0000m040142000p/0c10.jpg
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2023/01/25/20230125mpj00m040093000p/0c10.jpg
下のすしざんまいw
すげぇ
画像めっちゃ守っとるやん
キーパーかよ
すしざんまいがいるな
逆だろ
実用性はない
コンパスなんて紀元前からある
紐と釘さえあれば書けるだろ
その剣で抜いたとき大きな災いが起こる
そもそもこの時代に武器としての剣の概念はあったのかね
武器としての概念の前に剣が存在してたの?
知らんけど概念くらいはあったのかもね
神話上では草薙剣とか出てくるし
でも現実で日本で剣が歴史上武器として使われていたことってあるのかね
戦国時代の武器も槍と刀で剣は出て来ない
当時この剣を使った巨人族がいたことの証明なんだよ!
大昔の日本人にこういう美的感覚あったのが驚き
縄文土器なんて芸術性の塊だろ
どういうふうにあの手の模様とか思いついて
土器に模様つけようとなったのかとか気になりますね
凄いと思う
これは盾だろ
銅鏡って
この裏は鏡面なのか?
磨かれてて鏡だって
>>55
こうなってる
https://i.imgur.com/L9AaZkD.png
https://i.imgur.com/cEQWol4.jpg
鏡面仕上げの盾ってことは日本にもメドューサがいたのか
日本神道では鏡は神の寄り代になる
太陽の紋章に右回りと左回りで蛇と玉が描かれてるね
カタカムナ文字の名残か発展型のように見える
パルテナの鏡
任那日本府の置き土産か
発掘に携わった人は忘れないだろう
秀吉が韓国から奪い取った武具に違いない
やっぱ畿内が太古から中心地だったんだな
4世紀後半といえば、好太王碑や新羅本紀によると倭が朝鮮半島に攻め上がって高句麗と衝突した頃だろ
やはり「武」。盾と剣で力を誇示
現品金属で年代測定してみろ
こういうの好きだから胸熱だわ!
流石にこんなデザイン性高いのは無理
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた
それは正に鉄塊だった
2世紀 倭国王師升が後漢に朝貢、倭国大乱
3世紀 倭国王卑弥呼が魏より金印を授かる、邪馬台国と狗奴国が対立
4世紀 奈良纏向遺跡の出現、崇神天皇が四道将軍を派遣 北陸出雲吉備会津を征服、仲哀天皇が九州遠征で熊襲に敗北、神功皇后が香椎宮で神託を受ける 三韓征伐
5世紀 奈良の大和王権が任那~熊本~岩手を平定 雄略天皇「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国」
6世紀 継体天皇即位、大伴氏が半島にあった領土を割譲、筑紫磐井が大和王権に反乱
7世紀 聖徳太子が軍隊を半島に派遣、乙巳の変、歴史書を新たに編纂
8世紀 隼人の乱、藤原広嗣が大和朝廷に反乱
9世紀 最後の朝貢を持って隼人の名が消える、北海道と南西諸島を除く日本統一
4世紀のところ全部妄想やんけ
・朝鮮半島北部の高句麗(紀元前37年から7世紀) 首都は卒本城→丸都城(-427年)→平壌城(427年-668年)
・朝鮮半島南部の三韓(紀元前2世紀末から4世紀)
言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の3つに分かれていたことから「三韓」といった。
朝鮮半島南西部の馬韓52カ国〔後の百済〕、朝鮮半島南部の弁韓12カ国〔後の任那・加羅〕、朝鮮半島南東部の辰韓12カ国〔後の新羅〕
(346年):百済は国際舞台に初めて登場する。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。蘇我氏の出自は半島南西部の全羅道とされている。
『三国史記』(1143年執筆)では紀元前18年建国になっており、韓国・北朝鮮の国定教科書ではこれを引用している。
歴史的な建国時期に関しては、三国史記の記述自体に対する疑いもあるため、韓国でも紀元前1世紀説から紀元後3世紀説までさまざまな説がある。
またその当時に書かれた中国・倭等の文献と後年になって書かれた三国史記の内容には隔たりがある。
中国の史料で百済という国号が明らかになるのは4世紀の近肖古王からである。
(369年):百済から倭国へ七支刀を献上している。
4世紀後半以降、倭国(ヤマト王権)が朝鮮半島南部へ進出したことを示す文献史料・考古史料は少なからず残されており、
史実として立証されている。〔広開土王碑・七支刀などの考古物や中国朝鮮の文献など、全く別の史料によって実証されており研究がすすめられている。〕
(413年から478年):倭国(ヤマト王権)の倭の五王〔允恭天皇、安康天皇、雄略天皇など〕は、
東晋→宋〔中国南北朝時代の南朝〕に断続的に朝貢を続け、朝鮮半島南部での倭国の支配権の国際的承認を求めた。
南朝は朝鮮半島南部の徴発権、軍事指揮権、裁判権は倭国(ヤマト王権)にあると認めた。
(7世紀中葉):倭国が白村江の戦の敗北により大陸での影響力を完全に喪失する。百済、新羅の滅亡。国号を「日本」と改める。
・中国側の視点
宋書(479年)等の記述は、倭国が朝鮮半島南部の小国家群に対して支配力を及ぼしていた傍証であり、
南朝梁の梁職貢図(469年~530年)には、新羅が或るときは韓の属国であり、或るときは倭の属国であったと記載されている。
・朝鮮側の視点
朝鮮側の史書三国史記(1145年)からも度重なる倭の侵攻や新羅や百済が倭に王子を人質に差し出していたことが知られる(倭・倭人関連の朝鮮文献)。
また、韓国南部の旧加羅(任那)地域の前方後円墳の発掘で倭国産の遺物が出ていることも証拠の1つとなる。
・高句麗側の視点
広開土王碑文(414年)には、4世紀末に倭国が朝鮮半島に進出して百済や新羅を臣従させ、高句麗と激しく戦ったことが記録されている。
・日本側の視点
日本書紀(720年)等の史書では、百済が倭国に対して複数回朝貢し人質を献上していたことが記述されている。
391年、倭が百済と新羅を破り臣民とする。393年には倭が新羅の王都を包囲する。397年、百済が倭国に阿シン王の王子腆支を人質に送り国交を結んだ。
いったん高句麗に従属した百済が、399年高句麗を裏切り倭と通じる。400年には倭が新羅の王都を占領していた。
高句麗の広開土王が新羅の要請に応じて軍を派遣し、倭軍を任那・加羅に退かせ、高句麗軍はこれを追撃した。
402年、新羅も倭国に奈忽王の子未斯欣を人質に送り国交を結ぶ。404年には高句麗領帯方界にまで倭が攻め込んでいる。
狗邪韓国(3世紀中頃)朝鮮半島南部〔後の任那・加羅〕にあった国。中国正史の『三国志』や『後漢書』に見え、『三国志』では「其(=倭国)の北岸の狗邪韓国」とある。『後漢書』では「倭の西北端の国」とする。
・『三国志』「魏書」東夷伝韓条には、 韓は南方では陸続きに倭と接すると述べている。倭国(または倭人居住地)の領域内とする説、領域外で対岸とする説、倭の海と岸が接する意味とする説の3説が挙げられている。
・『後漢書』東夷伝(列伝第七十五)は三韓の位置関係をより具体的に、「韓」の西岸に馬韓が、東岸の北部に辰韓、東岸の南部に弁辰(辰韓)があり、馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と述べ、ここでも朝鮮半島の南海岸部から「倭」の領域であるとしている。
・『後漢書』東夷伝倭人条では、邪馬台国は楽浪郡から「一万二千里」、倭の西北端である狗邪韓国は楽浪郡から「七千里」と記されている。
ちゅーか、あの場所を富雄と呼ぶのには
抵抗あるわ
古墳時代の支配層のDNA分析ってまだほとんどされてないし
古墳時代の女性豪族の姿は…垂れ目気味な一重まぶた特徴 全国初CG画像と動画で復元 山形 [少考さん★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1667895392/
八咫鏡(やたのかがみ)
三種の神器の一つである八咫鏡は、一般に「銅鏡」と解釈されているが、
材質が公開されているわけではなく、
古事記では、「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、
川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されているので、
実際は「鉄鏡」(=黒い鏡)である可能性がある。
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも称される剣の正式名称で、
『古事記』では「草那藝之大刀」と記される。
銅以外の成分も混ざってる鏡… 大刀…
「三種の神器」と呼ばれる物のプロトタイプなのかも知れない…
とかき立てる想像をしてしまいました。
資料やWikipedia等に掲載されてる画像はあくまで想像されたものなので…
文字がないのに高度な技術をどうやって継承してたんだろう?
鏡に関しては直接的に中国の影響が強い
三角縁神獣鏡の出土例は朝鮮にないし
半島の技術者や知識人が入ってくるのはむしろこのあと
国宝っていうか世界宝だな
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