児童漫画家として出発した2人だが、安孫子さんは30代に入ると悩み始めた。
「年齢を重ねると純粋な気持ちで子ども漫画を描くのが難しくなった」。
既に作品ごとにそれぞれが描くスタイルが定着。ドラえもんの大ヒットを横目で見ながら「このままでは藤本氏のマネジャーになるしかない」と悩んだ。
そんな時、青年向けの漫画誌が登場。「ブラックユーモア」路線をはじめとした大人漫画に活路を見いだした。
「僕は人間が好きなんです」と語る。1人で海外旅行に出掛けて現地の人たちと交流したり、お酒やゴルフなどを通じ友人たちと大騒ぎするのが好き。
作家の吉行淳之介さんやタレントの大橋巨泉さん、歌手の井上陽水さんら友人も幅広く、私生活での経験を漫画に生かしたケースも多い。
アニメ作家の鈴木伸一さんは「行きつけのスナックでは、よく下手なカラオケを歌った。店のママから『ジャイアン』と呼ばれて。でも、うれしそうで、僕も楽しくなった」と語る。
想像力を膨らませ、子ども漫画を描き続けた藤本さんを「僕なんてとても及ばない天才」とたたえたが、幅広いジャンルに分け入って漫画の裾野を広げたのは、安孫子さんだからこそ。
「まんが道」は、こんな書き出しで始まる。「これはまんがの持つ不思議な魅力にとりつかれ、まんがに自分の未来を賭けて、まんが道という、終わりのない道へ踏み込んだある、ふたりの少年の物語である」。晩年までペンを握り続けた人生はこの言葉の通りだったと思う。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/170369
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/9/d/d/0/9dd0a71e11ae61ba469f13325e4666a9_1.jpg
「明日にのばせることを今日するな」
素晴らしい言葉だなw
一生家の片付け出来ん…orz
ドラえもんの極端が飛躍があって、最終的には離婚というかそういう形式に…
とならざるを得なかったのは解るけど、30代位からこんな風に思っていたとは
笑うセールスマンとか
この人のブラックな作品が好きだわ
Fの方も方向性は違うが
ブラックさはひどい。
根本的に人間を信用していないように見える。
藤本先生は「人間は醜い」という表現で安孫子先生は「人間は愚か」って表現だよね。
あー、分かる
なるほど
逆な気がするな
愚かだから自滅するのがFで
醜いから誰かが断罪するのがA
黒いのはA、ドス黒い漆黒の闇はF
子供のときは共作だと思ってたんだけど違ったのかな?
確かに
違うよ
合作はオバQが最後らしい。
その後も当時は表向き合作だとずっと言ってきたけど、
二人が公式にコンビを解消するときに
実は別個に活動していたと明らかにされた
遺族とかの問題あるから生前に著作権利をハッキリさせただけだよ
の割にはオバQの権利問題で長らく単行本販売中止してたけどな
旧オバQは二人だけでなく石森先生も赤塚先生も絡んでたからじゃね?
wikipediaみると石ノ森章太郎は描いてたって書かれてるけど
赤塚不二夫はキャラが登場したって書いてあるんだよね
オバQにおそ松くん描いたの誰だよw
藤子不二雄はもともとそれぞれ個別に作品を書いていた。
合作したのって、オバQくらいじゃないか?
子ども向けの漫画ばかり書いてて面白いか?って藤子・F・不二雄の晩年に藤子不二雄Aが思ってたからな
それで産まれたのが笑ゥせぇるすまん
笑ゥせぇるすまんの原型を連載してたのは1969~1971年だけどな
昔のドラえもん作成秘話みたいなコミック読んだけど
一人悩み苦しんで生み出したみたいだぞ
ラッキーだったのはあるかもしれんが
なんか映画編の作風が名前分けてから完全に子供向けにシフトした気がして俺もそう思ってた
大魔鏡とか鉄人兵団とかAが混ざってんじゃないの
そら背景とかは完全にA氏やってるよ
龍の騎士の原作読んだらすごい洞穴の背景の書き込み具合
どうみてもプロゴルファーのミスターXの登場とおなじ
謎の崖の背景よ
マンガ版は絵柄も内容もかなりダークなんよな
小丸はアル中やし
ちがう。
ケント紙の見過ぎで、視力が悪化したため。
昼間でもサングラスをかけないと耐えられない職業病。
自伝に書いていた。
全盛期など、1日3食ともフランスパン。
なぜなら、左手だけで食べられるから。
その間、右手は漫画を描き続けていたらしい。
それでも大往生されましたね。
赤塚不二夫さんは72歳という若さでしたけど…。
赤塚さんは結構ボロボロだったと思うがよく70代まで持ったと思う
喪黒福造とかに
つれさられた
と思うよりも
怪物くんや
忍者ハットリ君に
つれさられたというほうが
夢があるな
ブラック商会変奇郎
ソレ好きだった。
以前危篤になったとき、手塚、藤本、石ノ森、赤塚がこっちに来いと迎えに来たらしい
文庫版はマイルドに改変されちゃってて残念だったわ
平成初期の頃までなら書店でチャンピオンコミックス版が新品で買えたんだよなぁ…
年表的にも、(藤子不二雄が)中高生向け雑誌に連載を持つようになってから才能が開花している。
Fの大人向け漫画は今の深夜アニメみたいに少年漫画を大人向けに凝ったものにしたものだが、
Aの大人向けは文字通りだから。
漫画家としては水木しげるに次ぐご長寿なのかな
ご冥福を
どうりで深みがある訳だ
アンパンマンは90くらいでも子供の心を持ち続けてすごかったな
ちりんの鈴も好きだけど
一番好きなのは「まんが道」かなぁ
トキワ荘の時代の描写が素晴らしいし 青年漫画家の苦労がよく分かる
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < ご冥福を
( つ旦と) \____
と_)_)
主役はもちろん現役の名人
若い時は似てたけど、もうハゲ取るやん
か…
俺は魔太郎と変奇郎の共演が見たかった
同じターゲットで
あるぞ
魔太郎が翔ぶ
猿丸は大人になって戻ってきたのにな
あまり知られてないけど
すまんな
みんなそうだから大丈夫やで
・幼馴染
・共作は初期だけであとは別々に創作
・クレジットはずっと一緒
・かなり異なる作風 Aはときに暗くてシニカル 社会的
Fは明朗でファンタジック 子供にうけた
・性格も違うため後にコンビ解消
なるほどビートルズだね
FのSF短編集読んでたらその印象は覆ると思う
Fの方が圧倒的に暗くてシニカル
Aも実は社交的なタイプだと思うし
間引きとかカンビュセスとか見たら心の闇が深いのはFだってわかるよな
ある日… のプツンはやばい
天才がたまたま同級生、というか
二人が研鑽を積んで、天才に成ったのだと思うわ。
通いならつのだじろう。
あとラーメン大好き小池さんこと鈴木伸一氏もご存命だな。
ラーメン好きでそんな長生きな人はいないはず。
ラーメン嫌いなんだな
まんが道読むと猛烈に漫画が描きたくなる
19の頃ハマって勢いで描いた32ページが、小学館新人コミック大賞最終選考落ちまで行ったのが人生最大の自慢
A先生も山ほどヒット作持ってるのに
F先生の短編の方が不条理でちょっと怖かったりする
本当に仲良くないと出来ないことだぜ
なら何で別れた後一切共演がなかったのか
別に共演する必要もないからじゃね
描いてる作品も別々だし
プロダクションも隣同士だし
仲は悪くなかったんだと思う
お前が想像出来ないほど仕事が忙しかったんだよ
お前は金のことしか頭になさそう
パチンコに提供した方としてない方って分け方もあるのかな
に笑った
お疲れ様
ヤマト然りキャンディキャンディ然り
F
実は本当にブラックなのはFの方
Aは自分から堕落したりいじめられっ子だったり個人的な闇だけど
Fはあらゆる人の持つ原罪みたいな救いの無さを描いてたりする
ドラえもんよりハットリくんや怪物くんのほうがおもしろかった
あまり知られてないが富山県は東(呉東)と西(呉西)に分かれてる。
氷見市や高岡市は呉西地区。富山市は呉東地区。
実写版で頼む
魔美役は菅谷梨沙子で
怪物くんとか割と中間的なタッチだし
F先生は生きることの矛盾とか不条理みたいな哲学的なブラック
と言うイメージかな
当時の漫画界はヒーロー型がほとんどで、魔太郎みたいなキャラはいなかったんじゃないかな?
でも一番好きなのはフータくんです。
あと、愛知りそめし頃にです。
A先生、ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。
元祖もう遅い系?
Aのほうかと思ったわ
どう見ても絵面がそうだろ
A先生がエスパー魔美描いたら絶対女である事を武器にしてくる
Aにはエスパー魔美の良くも悪くも綺麗なストーリーは描けないと思う
まあ中間寄りではあるよな
一時期ほど平均寿命高くなくなってきてるはず
葬儀屋も焼き場も予約待ちなの知らんだろ
実はコロナでかなり死んどるのでは?
老人が死んでいくのは別におかしくないし
A先生も死んでも全くおかしくない年齢だからな
1話完結のどっちかと言うと小品って感じの作品が多かった気が
俺が藤子Aだ!みたいな骨太の大河作品は能力的に描けなかったのか
藤子ブランドに対する遠慮があったのか
アメコミのような雰囲気は珍しかった。
大学生の時に古本屋で見つけた藤子不二雄ランド全巻(全部初版)30万円を買わなかったことだ
社会人になってたら無理しても買ってたな
10分時間潰すには格好のコンテンツ
いいね
↓
藤本氏の真似じゃになりました
喫茶店に置いてあっただけだが。
喪黒て巨泉だったのか。。ギミアで始める時、いけるとか思ったんかね
悼む声が少なくなってかわいそう。
ご冥福を。
F先生の絵が洗練されていく1970年中期以降から差が開いていく
逆に二人ともトキワ荘時代は何をしていたのだと言うくらい作品が無い
オバケのQ太郎1964年★合作
忍者ハットリくん1964年★ 代表作
怪物くん1965年★
パーマン1966年
ウメ星殿下1968年
ドラえもん1969年 代表作
モジャ公1969年
魔太郎が来る1972年★
プロゴルファー猿1974年★
バケルくん1974年
キテレツ大百科1974年
ブラック商会変奇郎1976年★
エスパー魔美1977年
まんが道1977年★
チンプイ1985年
SF短編集やタイムパトロールぼん はいつ頃?
短編は1970年台に波が来る
タイムパトロールぼんは1978年
ドラえもんが桁違いになっただけで
それ以外は同レベルだと思うぞ
20歳~28歳までを過ごした
その後F先生は1962年にA先生は1966年に結婚している(´・ω・`)
https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/20/0000954120/14/imgc0291e80zik7zj.jpeg
>>110
うむ
ドラえもんはテレ朝でアニメ化されるまではパッとしない作品扱いだった
確か月刊誌の小学○年生で掲載されていて小学一年生~小学六年生まで読んでいた作品なのでそれはない。
オバQやパーマンの方が代表作だった
だよな
並べてみるとAは人間臭さ漂う作品、Fは空想的な作品なんだな
普通レベルの願望で行動する主人公が多いのはF
やばい思考の主人公が多いのはA
上下関係ある主人公見下す主人公が多いのはA
遊びたい主人公が多いのはF
たぶんね、安孫子先生が言ってるのは、
(「ドラえもんの大ヒットに」の部分に引っ張られてるけど)
単純に「自分は子供向け漫画家として限界だった」という意味だと思う。
元々は、藤子不二雄は完全な子供向け漫画家で、
よくFは「手塚治虫のフォロワー」なんて言われてるけど、
最初から青年漫画を子供向けにアレンジしてた手塚治虫と全然作風が違う。
だから、初期の作品は今はあまり読まれていない。
(大人が藤子不二雄の初期作品を読むのはさすがにつらい)
お前ら小学校時代の親友と毎日顔つき合わせるほど繋がってるか?
大体はそうならないだろ
田舎の狭い世界じゃあるまいし
家族や仕事での繋がりのほうが強くなっちゃうよね
そういう関係なしに死ぬまでパートナーシップが続いたのが凄い
天才だろ
あの時代であれ描いてたなんて
ほぼ石ノ森章太郎のアシ
ちゃんと作中の漫画が読めるのもいい
誰も言及しないが。
これは内心辛いよな。
ほんとにな
言ってる側からしたら違いはわからないし
うれしそうに受け入れられるのは強いよね
才能のなさを自覚はしてたんだな。ならいい。
似てるね セールス的にはポールが圧倒的だったところとか
でも所詮口あたりの甘い女子供向けだろとロック通から酷評されたとことか
どっちがどっちの作品だったか後年公表しようと考えたところとか
ジョンが主体的にやったんだけど、こっちも安孫子先生からじゃないのかな
そのままジョンとポールになぞらえるのは違うと思う
Fは決して子供向けの甘口じゃない
親爺ロックとかの短編は諷刺SF漫画だな。
音楽では1950年代半ばぐらいから世界的にロック・バンドなどで、一つの家で寝起きを共
にしながら共同制作していく流れが流行って来たが、その頃既に日本では藤子不二雄の例や
ときわ荘など、日本漫画には共同制作の下地が出来ていたのかもな。
たぶん、日本漫画の共同制作が漫画の中に即興性の要素を広げ深めてきたんじゃないかな。
それは確かに違うね
ワイのような浅い読者にもドラえもんという作品の中の毒はわかる
だから普遍的に面白いんだし
そう単純になぞらえられる様なもんでもないか まあパブリックイメージ
機会があればSF短編集読んでみて欲しい
SFの枠組みの中で児童漫画では描けなかった人間の業が描かれている
イラストをよく練習したものだ
もう一度見たい
コメント