事件は1860年3月3日朝に江戸城の桜田門外で発生。安達は、関から事件の様子を聞き取って詳細に記しており、日記によると、襲撃の合図のピストルを発砲すると、護衛の武士が15メートルほど退き、井伊大老は「ヒストンノ玉胸先ニ中リテ死シ」などと死因も記していた。
3/21(月) 21:11配信 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4edbaf3cfe6173c629dc88a05b47610dbd78d17
鳥取県立博物館で公開されている安達清一郎の日記=21日午後、鳥取市
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220321-00000102-kyodonews-000-1-view.jpg
嘘だ!小学館マンガ日本史では刀で斬られてたぞ!
とりあえず襲撃開始の合図で撃って止めを刺したのは刀だったのかもね
最新の研究では複数の資料から少なくとも自力で動くのはもちろん迫ってくる敵に目を向けることすらできる状態ではなかった、となってる
井伊直弼は水戸浪士からカゴの外から刀を突き立てられたあとに
カゴから転げ出てきて首を取られたのでは?
>>鳥取藩士「問答無用!」
>>45
>>鳥取もチンカスのくせになんだかんだキチガイが多いな
↑
短い記事も読めない・・・(鳥取藩士安達清一郎、事件後に水戸浪士関鉄之介から事件の様子を聞き取って日記に記載)
>>1
>>大老井伊直弼暗殺を指揮した水戸浪士関鉄之介(1824~62年)が事件後に救援を求め、安達を訪れたことが記された日記などを公開した。
>>
>>安達は、関から事件の様子を聞き取って詳細に記しており、
wiki
先供が松平親良邸に近づくと、まず前衛を任された水戸浪士・森五六郎が駕籠訴を装って行列の供頭に近づいた。
彦根藩士・日下部三郎右衛門はこれを制止し取り押さえに出たが、森は即座に斬りかかったため、日下部は面を割られ前のめりに突っ伏した。
森が護衛の注意を前方に引きつけた上で、水戸浪士・黒澤忠三郎(関鉄之介という異説もある)が合図のピストル[注釈 26]を駕籠めがけて発射した[22]。
これを合図に浪士本隊による全方向からの駕籠への抜刀襲撃が開始された。
発射された弾丸によって、直弼は腰部から太腿にかけて銃創を負い、修錬した居合を発揮すべくもなく、動けなくなった。
襲撃に驚いた丸腰の駕籠かき、徒歩人足はもちろん、彦根藩士の多くも算を乱して遁走した[注釈 27][24]。
残る十数名の供侍たちは駕籠を動かそうと試みたものの、銃撃で怪我を負った上に襲撃側に斬りつけられ、駕籠は雪の上に放置された。
護衛の任にある彦根藩士たちは、雪の水分が柄を湿らせるのを避けるため、両刀に柄袋をかけており、これと鞘袋が邪魔してとっさに抜刀できなかった。
このため、鞘のままで抵抗したり、素手で刀を掴んだりして、指や耳を切り落とされるなどした[22]。
こうした防御者側に不利な形勢の中、彦根藩士も抵抗を行い、結果として襲撃者側も被害が拡大した。
二刀流の使い手として藩外にも知られていた彦根藩一の剣豪の河西忠左衛門は、冷静に合羽を脱ぎ捨てて柄袋を外し、襷をかけて刀を抜き、
駕籠脇を守って浪士・稲田重蔵を倒し、さらなる襲撃を防いだ。
同じく駕籠脇の若い剣豪・永田太郎兵衛正備も二刀流で大奮戦し、襲撃者に重傷を負わせた。
しかし、河西が斬られて倒れ、永田も銃創により戦闘不能になる[注釈 28][注釈 29]。
乱闘により、襲撃者側で当初戦闘に参加しない予定だった斎藤監物も、途中から戦闘に加わった。
やがて、護る者のいなくなった駕籠に、次々に襲撃者の刀が突き立てられた。
まず稲田が刀を真っ直ぐにして一太刀、駕籠の扉に体当たりしながら駕籠を刺し抜いた[27]。
続いて広岡、海後が続けざまに駕籠を突き刺した。この間、稲田は河西忠左衛門の反撃で討ち死にし、河西も遂に斃れた。
そして、有村が荒々しく駕籠の扉を開け放ち、虫の息となっていた直弼の髷を掴み駕籠から引きずり出した。
直弼は既に血まみれで息も絶え絶えであったが、無意識に地面を這おうとした。
有村が発した薬丸自顕流の猿叫(「キャアーッ」という気合い)とともに振り下ろした薩摩刀によって、直弼は斬首された。
首は一撃では落ちず、3回マリを蹴るような音がしてやっと落ちたと言う。
事変の一部始終をつぶさに見ていた水戸藩士・畑弥平は、襲撃から直弼の首級をあげるまで
「煙草二服ばかりの間」とのちに述懐しており、襲撃開始から直弼殺戮まで、僅か数分の出来事だった[15][注釈 30]。
お前らが言ってる事は部分的にみんな正しいな
>襲撃の合図のピストルを発砲すると、護衛の武士が15メートルほど退き
大老の籠を置いて護衛が逃げた、ってことですな。
大老の護衛なのだから選りすぐりの精鋭のはずなのに。
射殺ではないよ。トドメはきっちり刀
>>251
虚言ではないな。関の言い分をそのまま記録したってだけで
関も虚言を述べたわけでもなく、関自身は遠くから監視してただけでその後も襲撃部隊の生き残りと接触しておらずそこまで詳細な経緯を知らないので正確なとこはわからないながら自分の見たことをそのまま述べただけだろう
たしか至近距離から籠内に発射、大腿の動脈に当たり大量出血だったと思う
井伊直弼って天下の大悪党なんだよね
え?
時代劇でいつもブスブスしてたはずなのに、
実際は攘夷が洋式拳銃つかってたの?
うわー幻滅
武士の恥
ピストルってなんか明治感ある
なんでだろう
幕末にはあるけど江戸時代は禁制
つまり密輸の品だったからじゃない?
>護衛の武士
の正体は、武士の格好をさせられた彦根藩の日雇いのコスプレバイト(一般人)なんだよ!
「篭かき」も日雇いバイトの一般人。
水戸藩もソレ知ってて敢えて襲撃したらしい。
殿様はさすがにバイトの影武者ではなかった?
死者は咎なし、重傷者は減封と謹慎、軽傷は切腹、無傷であったものは
近親者含めた斬首と財産没収とかだったから
バイトじゃないんでね
バイトも罰しようとしたけど
元締めから「なら今後一切斡旋しねえぞ」と言われて諦めたんだよね
現代の派遣の方がよっぽどブラックだな
知ってた
大河だと昔はピストルは空に向けて撃たれた描写になってたと思うけど、篤姫ではまず銃で撃たれてから斬られた描写に変わってたね
まあただのテロだな
そりゃ本物のテロだし
それ言ったら武力で政権を奪って
反対者を弾圧し殺しまくってきた幕府がヤクザでありテロリストって話になる
体制側をテロリストとは呼ばんやろ
トップが法律を作ってそれに基づいてやってるならテロではないよね
でも警察組織が法の枠を超えてめちゃくちゃな取り締まりと弾圧をするのを
白色テロなんて呼ぶ
白ロシア的な響きがある
それ言ったら出雲や熊襲や蝦夷を虐殺してきた朝廷こそ日本最初のヤクザ
まさに仁義なき戦いだな
正しくはヤクザが真似しとるんやで
ちょっと違うな
逃げた護衛の藩士はみんな切腹になった
稼業は営んでない
テロリスト
どう考えても井伊の対外政策の方が正しかった
戦国時代大名って聞こえはいいけど
ただのヤクザのシマ取り合戦だよ
仁義があったりなかったり
ヤクザが戦国大名ごっこしてるだけ
ヤクザにはあんな高度な統治能力はない
刀で斬られたことは間違いない
斬首されて首を持って行かれたので
首級あげないと死体を持ち帰られて病死にされちゃうからな
偶然か射手の腕前かは分からないけど、弾丸が井伊に命中したことは事実
大老自身かなりの遣い手だったにもかかわらず、それで身動き出来なくなって駕籠から引き出され、首を打たれてしまった
斬撃されたと習ったけど銃撃だったとは教科書書き換えないといけないな
そうだよ
テロリストが国民を洗脳して今が有るんだよ
だから政府の常識も疑って掛からなきゃダメだよ
昭和の敗戦まで武で物事を解決する体質は変わらなかったな
最終目的地は薩摩。寄っただけだな
関本人が桜田門の前に井伊殺しの同志集めで斉昭の五男坊だから協力してくれるだろうと説得しに行ったが無碍に断られてるんで長いこと匿って貰えないのは承知の上だったし
つーことは鳥取のキチガイ性って水戸、つまり平将門の血かよ…やばっ
光圀だよ
幕末の大名旗本って
みんな親戚なんやな
新選組の油小路エピソードじゃね
威嚇射撃のつもりの銃弾が、籠の中の直弼の腰に命中し、動けなくなった
ところを引き出されて斬首された
指が散らばっていたのは、その前後の彦根藩士と水戸組の鍔迫り合いによるもの
実は日本人の刀鍛冶が作っていたことが、中に彫られた漢字で判明した。
刀鍛冶はリボルバーも作るんか
S&Wの型取ってコピーしただけだかんね。鍛冶屋なら楽勝
3丁だか4丁作ったんじゃなかったかな。で現場に持ち込まれたのが2丁
知ったかw
どー見ても>>11は
コルト(1848か1851)のコピーだろ
多分1851
36口径の方(今で言う38口径)
鍛冶屋も銃身作るノウハウはなかったんじゃないだろうか
山門の蝶番なんか見てもそれほど精度の高いものではないし
鉄砲鍛冶って言うと思うんだが
和製リポルバーいいなw
無理だっぺよ
襲撃事件後、幕命で長州藩が彦根藩邸を警護した
1860年代の武士って糞弱いよ
戊辰戦争なんて、宮様やお公家さんの大将に、農民町人寄せ集めで、にわか仕立ての維新方が、
300年武装特権を維持していた武家で編成されてる佐幕方に圧勝。
幕末の剣豪平山行蔵が幕府に登用されたけど職場にはチー牛しかいなくてぶち切れてたな
剣術が強いのと格闘や戦闘で勝てるかは別問題だろ
剣術と体術は表と裏の関係だから同時の侍は体術も当然使えたよ
古流だと併伝してるところもある
あんたは剣術家なの?
一応千葉の某流の門弟です
剣術・居合が表芸だけど体術(柔術)を併伝してて
>>464
知ってるよ
大千葉、小千葉とあるけどぜひ日本文化を継承していただきたい
袋竹刀だろ
ガトリング奉行
子連れ狼?
嘘だろうと聞き流していたが。本当なんだ、
なので首を刎ねられた時はまだ微かながら息はあった
関は離れたとこから見届けてその後同志と接触してないから確認出来てなくてもしゃあないけど
ピストルで殺してから首落としたんじゃね?つーかそういう事にしといてほしい。
直訴状の下にピストル隠し持ってた暗殺スタイル
騙し討ちか。
日本の暗殺は騙し討ちが多いのかな?
坂下門の時も同じことしてるし成功譚に頼ってるとはいえまぁそうかだと言っても反論は出来ないね
坂下門の時は失敗してその場で野良直訴を装ったやつがぶった斬られてんだけどw
日雇い護衛もそこらの町人から剣術やってる武士に替えてるし幕閣も馬鹿じゃないんで対策しまくってんのに同じことをした方がマヌケ
寝込み襲ったりね
京都での天誅なんか盗賊でしかない
金目的で商人襲ってる
しかも私利私欲のものもある
直接的な死因は鉄砲としても最後まで護ろうとした藩士達もいるわけで
井伊家は二刀流だし達人の某は割と最後まで戦い抜いてるから白刃の描写に何ら間違いはない
襲撃側の発砲も知られてるし割とどうでもいいしょーもない記事
実はピストルだったのか?
西洋の文化に触れてはいけなかったと言うことなんだろうな
幕末の志士は士族の反乱や自由民権運動や大正デモクラシーや血盟団事件や226事件の思想のバックボーンになっている
そればかりか玄洋社やペシャワール会や連合赤軍やオウムや維新の党にも影響を与えている
ある意味危険な思想
福田落ち着けw
吉村昭「調査が足りない」
2.26とかあの辺りも雪なんだよな
やっぱり温暖化してるなー
東京は3月でも雪が降ることがときどきある。
30年前までは4月にも雪が降った
直弼暗殺は旧暦の3月3日だけど、グレゴリオ歴なら3月24日。
春の大雪だね。
護衛の方は刀に雪除けカバー付けていたので咄嗟に抜き身ができなかったんだよ
鳥取藩士「問答無用!」
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